もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

岩垂 弘(ジャーナリスト)

  第1部 心構え、あるいは心得

 第23回 見出しをつけにくい原稿を書け  新支局長の挑戦 7


盛岡支局における松本得三支局長(右。1959年)



 一九五八年(昭和三十三年)に朝日新聞記者になった私が経験した地方支局は盛岡、浦和、静 岡の三支局である。その三支局で四人の支局長に仕えた。その経験からすると、当時の支局長に は大まかに言って二つのタイプがあった。
 一つは、その地の有力者や著名人との付き合いや、自社がからむ催しなどにこまめに顔を出す など、対外的・渉外的な仕事に積極的なタイプ。もう一つは外部との付き合いはほとほどにし て、むしろ紙面(地方版=県版)作りや支局員の教育に熱心なタイプだ。
 盛岡支局長に着任した松本得三氏は後者のタイプだった。それも、徹底して後者のタイプだっ たと思う。

 支局員の仕事は、二つに分けられる。取材と、原稿を書くこと(執筆)だ。 その二つの面に 松本支局長はどう対応したか。
 取材に関しては、「こうしろ、ああしろ」とか「これを書け、これは書くな」と命令、あるい は指示することはなかった。支局員はそれぞれ担当分野が決まっていて、その分野に責任をもつ ことになっていたが、担当分野以外のことを書いてはいけない、ということはなかった。つま り、極めて自由だった。「支局員には思い切り自由にのびのびと取材させる。もし問題が起きれ ば、支局長が責任をもって対応する」というのが、松本支局長の基本方針だったように思う。
 何を取材するかは支局員に任せていたが、その一方で、こう付け加えることを忘れなかった。 「問題意識をもって書くこと」「読者が立ちどまって考えるような言葉が文章の中に一行あるか どうかが、その記者の評価を決める」
 一方、支局員の原稿に対しては、「実によく見る(読む)支局長」だった。
 この件に関し、当時盛岡支局員だった轡田隆史氏(その後、東京本社社会部を経て編集委員、 論説委員。現在、テレビ朝日系のコメンテーター、エッセイスト)が次のように回想している。
 「昭和三四年春、朝日新聞に入社したわたくしは盛岡支局に赴任し、一年一二カ月にわたっ て、松本さんに原稿をみていただくことになったが、実は、それ以来、今日まで、ほとんどすべ ての原稿を、『わたくしの内なる松本さんあて』に書いてきたのである。もちろん松本さん自身 はご存じないことで、あくまでこちらだけの心づもりなのだ。わたくしにとって『推敲』とは、 例えば一行を書く、すると脳裏にある『松本さん』がそこを読んでウーンとうなってパイプに火 をつける、で、わたくしは、これじゃダメだな、と自ら悟って書き改める(支局での松本さん は、実際にも、そうだった)」(『目にうつるものがまことに美しいから――松本得三氏追想・ 遺稿集――』、一九八二年刊)
 当時の支局の雰囲気が、ビビッドに伝わってくる。
 支局員は「書き原」(夜行列車で東京本社に送る原稿)をもっぱら、夜、支局で書いたが、そ れが出来上がるまで、支局長は支局のデスクで待っていた。原稿の出来上がりが深夜に及ぶこと もあったが、支局長はそれまで待っていた。その間、本を読んいた。
 出来上がった原稿に対するチェックは厳しかった。当時の支局員、木原啓吉氏(その後、編集 委員を経て千葉大学教授、江戸川大学教授を歴任)は「(小繋事件に関する原稿の執筆にあたっ て)原稿に対する松本さんのダメ押しはきびしく、私は何度も返答に窮した。松本さんはもう一 度確かめてこいといわれ、私は再び小繋に行き補足取材をした」(同)と書いている。
 また、やはり当時の支局員の辻謙氏(その後、東京本社社会部を経て論説委員を歴任)もこう 回想している。
 「私のルポルタージュ原稿は、一語一語きびしくチェックされ、ところどころ書き直しを求め られた。出来上った記事は、著者の(取材対象者に対する)好意的な気持ちは陰にかくされ、き わめて客観的な文章だった、と記憶している。『この公平さと冷静な目が新聞記者なんだな』と 私は教えられた」(同)

 こんなこともあった。ある時、デスク席にいた松本支局長が支局員に向かってこう言ったの だ。「新聞記者は見出しをつけにくいような原稿を書かなくては」。私は一瞬、わが耳を疑っ た。なぜなら、私は入社以来、上司から「見出しをつけにくいような原稿を書いてはいかん。す ぐ見出しがつけられるような、分かりやすい原稿を書け」と言われ続けてきたからだ。なのに、 この支局長は「見出しをつけにくい原稿を書け」と言っている。逆ではないのか。私は思わず、 支局長の顔を眺めてしまった。
 しかし、私は、その意味を次第に理解していった。それは、こういうことだったのである。― ―新聞記者たるもの、取材にあたっては予断を排し、幅広い視野から取材対象に迫らなくてはい けない。世の中のことは、何事もそう単純に割り切れるものでなく、複雑だ。取材対象の実像が 多面的なものであったら、それをできるだけ正確に原稿に反映させることが大切だ。原稿執筆に あたっては、事実をできるだけ正確に伝えなくてはいけない。つまり、原稿執筆にあたっては複 眼的な視点をもつように――いわば、反語的表現だったわけである。
 いずれにせよ、私にとっては、忘れられない語彙となった。





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