もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

                 岩垂 弘(ジャーナリスト)
  
   第3部 編集委員として

 第149回 労協組の聖地・モンドラゴンをみる
モンドラゴンの街。後方はウダラ山(1994年12月、スペインのバスク自治州で撮す)




 スペイン北部、ビスケー湾に面す風光明媚な保養地サンセバスチャンから南へ渓谷を遡ること約八〇キロ、車で約一時間も飛ばすと、こぢんまりした町並みが見えてくる。長野県の伊那谷を思わせるような谷間に工場や住宅群が立ち並ぶ。標高二一一メートル。町の背後に富士山に似たウダラ山(標高一〇九二メートル)がそびえ立つ。人口二万五千(一九九六年現在)。モンドラゴンである。スペインのバスク自治州ギプスコア県に属す。

 山間に展開するこの小さな町が一九八〇年以降、世界的な注目を集めるようになった。この年、カナダ協同組合中央会参事のアレキサンダー・F・レイドロウ博士が国際協同組合同盟(ICA)に請われてまとめた 『西暦二〇〇〇年における協同組合』の中で、モンドラゴンに根付いた協同組合を「高度の産業発展の新たな段階の労働者協同組合の姿を示したのである。各国の政府は病める資本主義産業救済のために、この協同組合に注目し始めた。このことに関する新しい文献の数は驚くべきもので、あまり関心を惹かないだろうと思われていたアメリカにおいてもそうであった」と称賛したからだった。
 労働者協同組合とは、すでに述べたように労働者自身が出資、経営し、働く企業のことである。

 それ以来、世界各地からの見学者が後を絶たない。日本の協同組合関係者もこのモンドラゴンの協同組合に高い関心を示し、これまで多くの視察団をここに派遣した。私もこれまで三回にわたってこの地を訪れた。一九九四年六月、同年十二月、一九九六年十月である。いずれも労働者協同組合、生協関係者による視察に同行しての取材であった。ここでは、三回にわたる取材で得たデータを基にモンドラゴンの協同組合のプロフィルを紹介する。

 今から五十二年前の一九五六年にここで五人の若者が石油ストーブを製造する協同組合を設立した。それは五人の名前の頭文字をとって「ULGOR(ウルゴール)」と名づけられた(やがて「FAGOR(ファゴール)」と改称)。その後、年を経る毎に共鳴者、賛同者が増え、ウルゴール自身が大きくなったのに加え、工業製品をつくる協同組合が一つ、また一つと増えていった。それらは、モンドラゴンにとどまらず、バスク地方全域に広がった。
 そればかりでない。工業関係の協同組合に加入した人びとは自分たちの活動をより一層発展させるために金融、共済、流通、技術開発、技術教育といった分野にも協同組合を次々と設立していった。それらの協同組合群は、やがて「モンドラゴン協同組合企業体」(MCC)と名乗る協同組合の複合体を形成する。
 私が三回目の取材で訪れた一九九六年には、そのMCCは約九十の協同組合で成り立っていた。まさに一大協同組合群と呼ぶにふさわしかった。
 それは、三つにグルーピングされていた。第一は財政グループで、金融や共済などの業務に携わる協同組合がここに束ねられていた。第二は工業グループで、工業製品を生産する七十二の協同組合がここに結集していた。これらの協同組合が生産する工業製品は、冷蔵庫、洗濯機、皿洗い機、などの家電製品のほか、自動車部品、工作機械、建設用機械などだった。第三は流通グループで、主力は生活協同組合。スペイン全土にさまざま規模、形式の店舗をもっていた。

 事業の面ではどうか。一九九五年の総売上高(工業グループと流通グループの売り上げで、財政グループの売り上げは除く)は五五八七億七八〇〇ペセタ(当時一ペセタは約〇・八円)。日本円で四四六九億円であった。前年は四九六九億〇二〇〇ペセタだったというから、一二・四%の伸び。かなり高い成長率と言ってよかった。
 MCC関係者によれば、スペインの企業売上高ランキング(銀行を除く)でMCCは第三位。とくに冷蔵庫、洗濯機の生産ではともに第一位とのことだった。「MCCはもはやスペイン有数の巨大企業なのだ」というのが私の受けた印象であった。

 MCCが雇用の面でも大きな役割を果たしてきたことも印象に残った。一九九五年時点でのMCCの労働者数は二万七九五〇人。九三年に比べ二六三三人、九四年に比べ一九六〇人増えたという。このころ、スペイン経済は不況の最中にあり、失業率は二一%に達していた。そうした厳しい経済情勢を考えれば、MCCが年々、就業労働者を増やしてきたことは特筆に値することではないか、と思われた。
 すでに述べたように、MCCは労働者自身が出資し、管理し、労働もする労働者協同組合である。したがって、労働者はMCCを構成する協同組合の組合員でもあるわけだが、近年、出資をせず、そこで働くだけの労働者(つまり賃金労働者)が序々に増えている、とのことだった。「現在、そのような労働者が五〇〇〇人いる」と聞いた。
 労働者二万七九五〇人の内訳は五六・三%が工業グループ、三八・七%が流通グループ、五%が財政グループとのことだった。
 労働組合はない。その代わり、「社会委員会」という名称の組織が設けられていた。職場単位で選ばれる組合員代表で構成され、決定権はないものの組合員の福利、厚生、労働条件などについて理事会に意見を述べることができる。理事の候補を推薦したり、組合員が受け取る前払い金(収入を見越して組合員に支払われる金、いわば賃金に相当するもの)の額を査定して決定する委員会に委員を出すこともできる。

 ところで、出資はどのくらいか。組合員(労働者)になるための出資金は工業部門で一五〇万ペセタ、他の部門では一〇〇万ペセタとのことだった。組合員が受け取る前払い金は平均して一カ月一七万ペセタというから、前払い金の九カ月から六カ月分に相当する。日本円にしてざっと一〇〇万円から七〇万円だ。労働者にとってはそう簡単に出せる金額ではないが、そこには「労働者が企業を興すにはそれなりの資本が必要。それを自ら調達するとなれば、それ相応の負担をすべし」という考えが流れているのではないか、と私には思われた。一度払いのほか、職に就いた時に一部を払い、残りは前払い金の一部を毎月積み立てるという分割払いも認められていた。
 もちろん、出資金には利子がつく。MCC幹部によれば、利率は一般の銀行預金との利率と同じとのことだった。が、協同組合だから、出資配当には上限がある。

 経営の面では、「民主的な運営」が貫かれていた。MCCを構成する個々の協同組合の最高決議機関は組合員総会で、そこで事業計画が決められたり、理事会メンバーが選ばれるが、そこでは「一人一票」制だ。株式会社では「一株一票」が原則で、所有する株の多寡によって株主の発言権が左右されるのとは大きな違いである。

 MCCの共済機関の女性事務職員(三十三歳)に話を聞いた。六年前、一〇〇万ペセタを出して共済機関の組合員になった。電子機器のメンテナンスを請け負う株式会社に勤める夫と二人暮らし。
 「休業手当の申請書類を処理する仕事です。恵まれた職場で、とても満足しています」
 「わが国は失業率が高い。それだけに、MCCに就職できる労働者は、安定した職場につけた恵まれた人、とうらやましがられます」
 MCCに就職するまでは、公務員をしていたという。そこで「協同組合が私企業や公営企業と比べて優れているのはどんな点でしょうか」と尋ねると、彼女はほほ笑みながら答えた。「わたしも一票をもっているから、それを行使することで協同組合の経営に参加できることね」
 年一回開かれる総会には一〇〇%近い組合員が出席し、発言も活発という。

 モンドラゴンにおける協同組合の実情を日本に最初に紹介した大谷正夫氏(元日本生活協同組合連合会常務理事、故人)はかつて私にこう語ったことがある。
 「世界がここに熱い視線を注ぐようになったのは、一つには、世界的に失業者が増えていることから、モンドラゴンのような行き方が雇用問題に対する一つの解決策を示しているのではないかと見たからではないか。それに、労働者の経営参加、産業民主化といった観点からの関心も高いと思います」
 いずれにせよ、モンドラゴンでは人類にとって壮大な実験が進行中なのだ、というのが三回にわたる取材を通じて得た私の感慨であった。
                                      (二〇〇八年十月二十一日記)

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