もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

                 岩垂 弘(ジャーナリスト)
  
   第3部 編集委員として

 第153回 アジアへの関心――この目で見たサラワクの自然破壊
河川は茶褐色に濁っていた。川岸にある建物はイバン族の住居(1992年5月、マレーシアのサラワク州で)
イバン族の子どもたち(1992年5月、マレーシアのサラワク州で)




 「聞きしにまさる自然破壊だな」
 熱帯林の間を蛇行しながら滔々(とうとう)と流れる茶褐色の濁流を眺めながら、私は言葉を失った。マレーシアの東マレーシア(ボルネオ島)サラワク州でのことである。

 「情報懇話会21」という団体がある。労組や市民団体にニュースを提供している連合通信社(本社・東京都港区芝)が主宰している会員制の学習グループだ。現代社会の実態を知りたいという労組員らを対象に始めた活動で、それぞれの分野に詳しい専門家による講演会が中心だが、テーマによっては現地調査も行ってきた。
 その情報懇話会21が一九九二年(平成四年)五月、「熱帯雨林の現状と未来を見る旅」を実施した。当時、マレーシアで熱帯林の伐採が多国籍企業によって行われ、その影響で環境破壊が進み、先住民の生活も深刻な被害を受けつつあるとの報道が相次ぎ、熱帯林伐採問題への関心が環境保護団体を中心に世界的に高まりつつあった。森林伐採に反対する東マレーシア・サラワク州の先住民多数が警察に逮捕されたというニュースももたらされ、日本でもこの問題に関心をもつ人たちが現れた。そこで、情報懇話会21が「現状をこの目で確かめよう」と、現地へのツアーを組織したのだった。

 私もアジアにおける環境問題には関心があったから、ぜひ現地を見たいと思った。が、私は環境問題担当ではないので出張を申請しても認められないだろう。ならば、と休暇をとり自費で参加することにした。「旅」の参加者は総勢十四人。大半が都職労、食品連合などの労組員だった。現地の事情に詳しいルポライターが「旅」のガイド役として加わった。

 「旅」一行は五月四日に成田を出発、東マレーシア・サバ州のコタキナバルを経てサラワク州のミリに到着。ここで一泊して空路で同州ビンツルへ。ここから船でタタウ川を遡った。タタウ川は黄土色一色の流れで、時折、丸太を満載して下ってくる運搬船に出合った。熱帯林の伐採地にきたという思いを深くする。途中、船外機つきの小舟に乗り換え、熱帯林の中の支流をさらに遡る。やがて、川岸にあるイバン族の集落に着いた。ビンツルから船で三時間の距離だった。
 周りには鮮やかな濃緑の熱帯林が枝を広げる森が果てしなく続き、足元には見るからに生き生きとした灌木や草が生い茂り、昼なお暗い感じ。湿度が高く、肌がねっとりする。森閑として風はなく、ひどく蒸し暑い。
 集落は十二世帯八十人。この人たちは、ロングハウスと呼ばれる、板やトタンで葺いた一つ屋根の長い住宅に住んでいた。高床式で、ステップをつけただけの板をのぼって中に入ると、住宅の端から端まで貫く廊下になっていた。そこが作業や会合の場となっており、子どもたちの遊び場にもなっいていた。この廊下に面してそれぞれの家族が複数の部屋をもっていた。私たちはここに二晩泊めてもらい、住民たちと交流した。
 また、この間、川をさらに小舟で遡り、川岸にあった別なイバン族の集落を訪れた。そこには三十三世帯二百七十五人が生活していた。そのせいだろう、ロングハウスの廊下はなんと一五〇メートルもあった。ここでも住民たちと交流した。

 住民たちは、農業と畜産で生計をたてていた。農作物は陸稲、ココア、コショウ、ココヤシなど。陸稲は自家用だが、ココア、コショウ、ココヤシなどは販売用だ。彼らとて衣類や調味料、自家発電や船外機用のガソリンを買うのに現金が必要だからだ。畜産も同様で、豚、鶏を飼い、一部を販売する。他に川で魚を捕ったり、森の中で獣を捕まえる。これも自分たちの食用にしたり、販売する。
 ところが、住民たちが語ったところによると、五年ほど前から、周辺の森で熱帯林の伐採が始まった。ブルドーザーも入ってきた。伐採した木を搬出するための道路を造るためだ。このため、樹木や草で覆われていた表土がはがされ、赤土が露出。そこにスコールが降り注ぎ、雨に押し流された赤土は土砂となって河川に流れ込んだ。河川は濁り、飲用や沐浴用に使えなくなったばかりか、魚が捕れなくなった。森ではイノシシなどの獣がいなくなったという。
 熱帯林が伐採された跡には、ゴムやパーム油、カカオなど輸出用作物が植えられているとのことだった。いわゆるプランテーション化だ。
 「伐採に反対すると、刑務所に入れられる」「プランテーション化が進むと、私たちの畑がなくなるし、なによりも住めなくなる」。住民たちはおびえた目でそう語った。

 それにしても、この時期、熱帯林の伐採が問題化したのだろう。その背景にあったのは、先進諸国における住宅建設ブームだったのではないか。急速なテンポで高まった住宅建設ブームは大量の安価な木材を必要としたから、熱帯の森林が注目を浴び、先進諸国による熱帯林の輸入が急増した。一方、熱帯林を抱える開発途上国にとっては木材の輸出は外貨稼ぎの「ドル箱」となったわけで、この結果、開発途上国は一層、森林開発に力を注ぐことになった。
 「旅」に携行した岩波ブックレット『破壊される熱帯林――森を追われる住民たち――』(地球の環境と開発を考える会著、一九八八年刊)も次のように書いていた。
 「木材産業は、石油、天然ガスと並んでマレーシア政府が国の優先課題として進めている近代化、工業化の支えです。実際、マレーシアは世界一の熱帯木材輸出(全体の五八%を占める)を誇り、その七割は日本に輸出されています。しかし、半島部マレーシアは森林資源の枯渇がひどく、主要な木材産地として期待されているのがボルネオ島のサラワク州とサバ州なのです。サラワクでは、一九六三年〜八五年に二八〇万ヘクタールと森林全体が企業によって伐採されました」
 要するに、こうした背景をもつ熱帯林の伐採が、環境問題を引き起こし、現地住民から反対の声が上がっていたのだ。私たちは、この目で濁流と化した河川を見、住民から直接話を聞いて、事実を確かめることができた。そして、伐られた木材の七割が日本向けであること、それに、伐採に当たっている企業には日系企業も加わっていると知って、私はなんとも重い気持ちに陥った。

 緊張感に満ちた旅だった。こんなことがあった。私たち一行は、ビンツル空港に着いた後、空港近くで現地ガイドと落ち合うことになっていた。が、約束の場所で待ってもなかなか現れない。一行の間で不安が高まった。一時間後、少し離れた車の陰から声をかけてきた男がいた。それが現地ガイドだったが、彼の顔は緊張でこわばっていた。「私服の警察官がウロウロしていて、彼らが立ち去るのを待っていた。私は顔を知られているので」とのことだった。
 こうしたことからも分かるように、州政府は、外国人が熱帯林伐採に反対する先住民を支援したり、伐採問題を環境問題と結びつけるのを極度に警戒しているようだった。だから、監視の目を光らせていたのだろう。

 私たちはイバン族の集落からビンツルに戻り、そこで一泊。翌五月八日、空路でシンガポールへ向かった。
 飛行機がビンツル空港を離陸して上昇を始めると、窓外にサラワク州の海岸線が見えてきた。それを見て私は目を見張った。海岸線に近い青い海がところどころ茶褐色に染まっていたからである。まるで茶褐色の扇を広げたようだった。扇の要にあたるところが河川の河口であった。森林伐採によって河川に流出した土砂が紺碧の海を汚染していたのである。

 座席に身を沈めると、先住民と交流した時、先住民の一人が私たちに突きつけた言葉がよみがえってきた。
 「私たちは生活に必要な現金を得るためにカカオを栽培している。しかし、苦労してつくっても日本の買い入れ業者に買いたたかれていくらにもならない。もっと高く買って欲しい。あなたがた日本人はここに何しにきたのか。私たちを助けに来たのか」
 私たちは、だれもこれに答えることができなかった。その時のことが思い出されて、私は日本人の一人として胸が痛んだ。

 毎年、バレンタインデーが近づき、デパートなどで豪華なチョコレートが山のように積まれているのを見ると、私はこの時の先住民の訴えを思い出す。
                                        (二〇〇九年三月四日記)

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