もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

                 岩垂 弘(ジャーナリスト)
  
   第3部 編集委員として

 第142回 第三の道はあるのか――協同組合への開眼
【左】市民運動活動家代表団をひきいて中国を訪問した中林貞男氏(中央)。その左は張香山・中日友好協会副会長、左から二人目が筆者=一九八四年六月二十二日、北京で【右】国際協同組合同盟(ICA)のL・マルカス会長(左)、右は筆者=一九九四年六月八日、スペインのモンドラゴン協同組合企業体で




 資本主義の根幹は「生産手段の私有」と「自由競争」にある。その結果、人類に経済の高度な発展をもたらし、人々の消費生活は飛躍的に向上した。が、その一方で、資本主義は人々の間に貧富という格差を生んだうえ、資源と市場の獲得を目指す国家間の争いは幾多の悲惨な戦争をもたらした。そこで、こうした資本主義の弊害をなくそうと人類が編み出した経済制度が社会主義だった。社会主義は「生産手段の公有」と「計画」により、労働者の解放と高度な経済発展を目指すものとされたから、「貧」に属する世界の労働者階級は、社会主義国・ソ連の登場に無限の希望を託したわけである。しかし、が、それは、ソ連と東欧諸国の崩壊により見るも無惨な結末を迎え、労働者階級の夢はあえなくついえ去った。
 資本主義の限界が明らかになり、それを克服しようとした社会主義の試みもまた失敗したとなると、人類はこれからどうしたらいいのか。果たして、「第三の道」はあるのか、ないのか。一九八九年(昭和六十四年)十一月九日に起きた「ベルリンの壁」崩壊を機に朝日新聞紙上で「インタビュー・どうなる社会主義」「インタビュー・社会主義のゆくえ」を続けてきた私が、取材中に考え続けたのはそういうことだった。

 「ベルリンの壁」崩壊から間もない八九年暮れのことだったろうか、当時、東京・代々木駅の近くにあった生協会館内の日本生活協同組合連合会名誉会長室で、中林貞男・名誉会長から「岩垂君、これ読んでみないか」と一冊の本を渡された。
 当時、私は中林氏をたびたび訪ねる機会があった。中林氏は一九七一年から八五年まで十四年間にわたって日本生活協同組合連合会会長を務め、生協陣営内では「生協育ての親」といわれてきた生協運動のリーダー。原水爆禁止運動にも並々ならぬ熱情を傾け、国連や、協同組合の世界組織である国際協同組合同盟(ICA)といった舞台で「核兵器廃絶」を訴え続けた。一九八三年には、市民運動活動家代表団を率いて中国を訪問。その時、私は「朝日」からの特派員としてこれに同行した。
 名誉会長に退いてもなお原水爆禁止運動に強い影響力をもっていたから、私は、その後も同氏の話を聞くべくたびたび名誉会長室の扉をたたいたのである。

 手渡された本は、B六判、一六四ページの小型本。タイトルは『西暦2000年における協同組合』。同連合会から一九八〇年に発行されたものだった。
 筆者は当時、国際的に知られていた協同組合人のアレキサンダー・F・レイドロウ博士(元カナダ協同組合中央会参事)。八〇年にモスクワで開催が予定されていたICA大会のテーマが「西暦2000年における協同組合」だったことから、ICAがレイドロウ博士に討議のたたき台とするための報告書の執筆を依頼し、博士から大会に提出されたのが本書だった。

 協同組合とは、事業経営を通じて共通の目的を追求する人々の集まり、とされる。事業経営に必要な資金は、目的を同じくする人々が互いに拠出することで調達する。いうなれば、協同組合とは共通の目的をもった人々の相互扶助組織である。
 『西暦2000年における協同組合』は、その協同組合の現状を分析し、その望ましいあり方について提言したものだった。さして期待することもなく「勧められた本だから、まあ読んでみるか」といった軽い気持ちでページをめくり始めた私だったが、読み進めるにつれて、私はその内容にたちまち引き込まれてしまった。なんとも陳腐な例えだが、その時の私の読後感はまさに「目から鱗」であった。
 そこには、こうあった。
 「現在ICAにはすべての大陸に位置する65カ国から、175の全国および地域の組織が加盟しており、これらは合わせて約3億5500万人の組合員を代表している(これらの数字は1977年のものである)。しかしながら、ICAに加盟していない重要な組織もまだたくさんある。その中に中国が含まれていることは周知のとおりである。それゆえ、これら未加盟の組織も入れると、全世界の協同組合運動は5億人以上の組合員を有することになり、世界で最大の社会的・経済的な運動体であるといえるだろう」
 「協同組合の形態が非常に多種多様であるということに注目することは重要である。鉄道事業を行なっている協同組合は世界のどこにもないが、しかしそれ以外の事業で協同組合がやっていないものを捜すのは難しい。商品の生産・流通、農業、販売、信用、運輸、製造、銀行、保険、住宅、林業、漁業、そしてあらゆる種類のサービス業など、協同組合はこれらすべての事業を行なっているのである」
 「協同組合組織は、今日私たちが知っているような国有ないし公営企業がほとんどなかった19世紀に根をおろし、成長を始めたため、協同組合は私企業ないし資本主義に対する代案として着手された。協同組合運動の先駆者たちは、協同組合的制度がしだいに多くの信奉者を引き入れ、支配的な地位につき、そしてあらゆる分野で影響力を行使し、最終的に協同組合共和国を建設する日について語り、そのために計画をした」
 「協同組合部門では、自他ともに協同組合は資本主義の修正とは考えられておらず、基本的には資本主義にとってかわるものという立場にある」

 私が目を見張ったのは、まず協同組合の多様さだった。私がそれまで知っていた協同組合とはせいぜい生協とか農協とか漁協ぐらいのものだった。それが、鉄道事業以外のあらゆる業種に及んでいるとは。
 次いで、協同組合の組合員が世界で5億人にのぼもという記述が私をとらえた。ということは、家族を含めれば世界人口六〇億のうちのかなりのパーセンテージの人々が協同組合の傘下で暮らしていることになる。こうした事実から、私は協同組合が極めてグローバルな経済システムであることを思い知らされたのである。
 それ以上に私が本書から衝撃を受けたのは、協同組合は「資本主義の修正ではなく、資本主義にとって代わるもの」との規定であった。つまり、資本主義に対するオルタナティブであるというのだ。
 さらに、本書には、協同組合は市場経済を否定しない、とあった。私有財産も認めるという。その一方で、協同組合は人間生活に必要なものだけを生産するすることを建前としていることを知った。これは一種の計画生産であり、いわば社会主義的要素も備えているといえる。
 だとしたら、協同組合とは、資本主義のいいところ、社会主義のいいところを採り入れた経済システムといえるのではないか。そう考えてゆくうちに、私はついに思い至ったのである。「これこそ、資本主義でも社会主義でもない第三の道ではないか」と。

 加えて、私をさらに協同組合に開眼させてくれた一冊の小冊子があった。これも中林氏から「これも読んでみたら」と勧められた文献で、タイトルは『協同組合とその基本的価値』。B6判、わずか四十八ページの薄い冊子。一九八八年に農協、漁協、生協などの連絡機関である日本協同組合連絡協議会から刊行された。
 筆者はラーシュ・マルカスICA会長(スウェーデン)。八八年七月にストックホルムで開かれたICAの第二十九回大会のテーマが「協同組合の基本的価値」だったことから、会長が自らペンを採って大会向けに書いた報告書であった。
 
 このころ、世界の協同組合、とくに協同組合の先進地帯とされる西ヨーロッパの組合が深刻な危機に陥っていた。市場経済の浸透によって西ドイツ、フランスなどで協同組合が次々に破綻しつつあったからだ。こうした事態に、ICAとしてはストックホルム大会で再建策を討議することになったわけだが、マルカス会長執筆のこの報告書は、その討議用素材として大会に提供されたものだった。
 この中で、マルカス会長は「(協同組合の)挫折の理由として、第一にわれわれは未経験と無知とをあげることもできるだろうが、そこには協同組合理念からの多くの離反があった」として、「協同組合原則と価値とを固守しなければ、われわれは現在の経済状況では敗北を喫するであろう」と警告し、協同組合人はいまこそ原点にもどって協同組合の価値を確認すべきだと訴えていた。そして、協同組合の基本的価値として「組合員参加」「民主主義」「誠実」「他人への配慮」の四つをあげていた。
 ここでも、私は大変驚いた。協同組合経済にとって最も大切なことは「組合員参加」「民主主義」「誠実」「他人への配慮」の四点であるという指摘にだ。よく知られているように、資本主義市場経済を貫徹しているのは、所有する株の多寡がすべてを支配する資本の論理である。まさに情け無用の冷徹極まる経済システムだ。それに比べ、協同組合はなんと人間味豊かな経済システムであろうか。資本主義が資本中心の経済システムといわれるのに対し、協同組合は人間中心の経済システムといわれるゆえんである。

 かくして、私は次第に協同組合への関心を高め、協同組合に対する取材の機会を増やしていった。
 その中で、ICAのマルカス会長にも会うことができた。一九九四年六月、スペイン・バスク自治州のビットリアで開かれたCICOPA(ICAの労働者生産委員会)の世界会議を取材した折り、同自治州にある、世界的に知られた労働者協同組合「モンドラゴン協同組合企業体(MCC)」を見学したが、そこで、やはりここを訪れていたマルカス会長と話す機会に恵まれたからである。
                                          (二〇〇八年六月十日記)

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