もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

岩垂 弘(ジャーナリスト)

  第1部 心構え、あるいは心得

 第6回 抜かれたら抜き返せ


遭難者の遺体を捜索中、休息する捜索隊員(1958年7月、八幡平で)



 新米記者である私のサツまわり(警察まわり)は、盛岡支局に着任した一九五八年四月十四日 の翌日から始まった。第一日、第二日、第三日……。これといった事件も起こらず、まずは平穏 な日々が続いた。
 「東北は、事件が少ないんだな。東京のように都市化が進んでいないからだろうか」。内心、 静かな日々がもっと続いてくれるよう願いつつ、私は警察の各部署を回りながら、どうしたら顔 を覚えてもらえるだろうかと苦闘していた。
 ところが、である。なんとサツまわり開始から四日目の四月十八日、私は突如、驚天動地のた だ中に投げ込まれた。凶悪な一家三人殺人事件に遭遇したからである。
 この日午前七時ころ、盛岡駅に近い新馬町で、調理師(六〇)、その妻(五四)、養子(一 八)が、いずれものどを鋭利な刃物で切られて死んでいるのが発見された。隣人が調理師宅の裏 口に外側からカギがかかっているのを不審に思い、盛岡署に届けたのだった。
 同署に捜査本部が設けられた。現場検証、刑事による聞き込みと、捜査が始まった。なにし ろ、殺人事件などめったに起きない県都盛岡でのことである。それも、三人同時に殺されると は。この残虐な事件は盛岡市民に衝撃を与えた。私たちサツまわり記者はがぜん忙しくなった。  
 数日後、地元紙の岩手日報を見て、仰天した。容疑者が全国に指名手配された、と報じてい た。容疑者は盛岡市内の信用金庫支店の集金係(二三)で、遊興費に困って得意先の調理師宅を 訪ね、定期預金証書を預かったうえ、三人を殺し、定期預金を下ろして高飛びした疑いがあると 伝えていた。
 特ダネを書いたのは同社の村田源一朗記者だった。当時、社会部のサツまわり記者の一人。バ イタリティあふれた敏腕記者で、その後も優れた記事を書いた。それからずっと後のことだが岩 手日報社の社長に就任し、いまは同社会長である。
 地元紙に抜かれたのだ。
 新聞界では、報道にあたって他社に先んずることを「抜く」という。反対に他社に先んじられ ることを「抜かれる」という。とくに他紙全部に先んじて報じた記事を「特ダネ」といい、「特 ダネ」をものにすることを「スクープ」と呼ぶ。それにひきかえ、他紙が全部報じたのに、一紙 だけ遅れをとることを「特落ち」という。「特落ち」は不名誉なこととされている。
 要するに、私は抜かれたのだ。 
  村田記者は地元出身だから、なんたって顔が広い。警察官にも地元出身者が多いから、おそら くシンパ(共鳴者)も多いはず。それにひきかえ、私は他県人で、盛岡にきてまだ一週間にもな らない。盛岡署の刑事の名前さえまだ覚えられない駆け出し記者だ。これではかなうはずがな い。そう自分を慰めてみたが、読者や世間はそんなことは知らないし、知ろうともしない。負け は負けだ。抜かれた悔しさをとことん味わった。とともに、報道合戦の厳しさが身にしみた。
 容疑者は事件から約一カ月後の五月十四日、東京でつかまり、犯行を自供した。容疑者は捜査 員に連れられて翌十五日夜、列車で盛岡駅に着いたが、犯人をひと目見ようとヤジ馬約三千人が 駅に押し寄せ、大混乱。事件に対する市民の関心の高さをうかがわせた。
 
  遅れをとったのはこの事件ばかりでない。八幡平(はちまんたい)遭難者の捜索でもにがい思 いをした。この年七月、岩手・秋田県境の八幡平で、前年暮れにここに登って消息を絶っていた 盛岡鉄道管理局員ら六人のものと思われる遺留品が発見された。このため、盛岡から捜索隊が派 遣され、私は同行取材を命じられた。
 遭難者二人の遺体が捜索隊により発見された。同行記者はそのことをそれぞれの支局に知らせ るべく、遺体発見現場から、電話機のある山小屋に引き返した。当時は携帯電話などない時代だ ったから、山小屋にある一台の電話が唯一の通信手段であったのだ。
 ところが、遺体発見現場は深い沢で、山小屋までは草の深い急斜面。登山経験のほとんどない 私はほとほとへばってしまい、しかも足を滑らせて山小屋に着くのが遅れた。これに対し、「毎 日」の記者は大学の山岳部に籍をおいたこともある山登りのベテランで、私が山小屋に着いた時 は、すでに原稿を送り終わっていた。下山して支局に戻ると、先輩記者に「『毎日』の方が早か ったな」といわれた。
 
 抜かれて落ち込んでいた私に、支局の別の先輩記者がこう話しかけてきた。「抜かれたら抜き 返せ。そうすればいいんだよ」
 サツまわりは九カ月で終わったが、この間、他社に先んじて書いたことが一回あった。岩手郡 の農協組合長の自宅が業務上横領容疑で捜索されたという事件である。岩手版に三段で載った。 ささやかな初めての「特ダネ」であった。





トップへ
戻る
前へ
次へ