もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

岩垂 弘(ジャーナリスト)

  第1部 心構え、あるいは心得

 第4回 サツまわりこそ記者の基本


デモの警備に出勤した盛岡署の警官。左に立つの
は、当時読売新聞盛岡支局のサツ回り記者の中村
慶一郎氏。同氏はその後、政治部記者、三木首相
秘書官となり、現在は政治評論家



 朝日新聞盛岡支局における私の新聞記者生活は、赴任翌日のサツまわり(警察まわり)から始 まった。
 午前九時。官公庁の業務開始時間だ。そのころを見計らって、県警本部に行く。当時、県警本 部は木造二階建ての県庁舎の一角にあった。まず、一階の警ら課、交通課を訪れる。「何かなか ったですか」と次席に尋ねる。次いで二階に上がり、捜査課、防犯課、秘書課の順で回る。ここ でも、各課次席に「何かなかったですか」ときく。
 これらの課をひと通り回り終えると、盛岡警察署へ。県警本部のすぐ近くにあり、歩いて行け た。次長席に寄り、尋ねる。「夕べから今朝にかけ、何かなかったですか」
 県警本部でも盛岡署でも、何か事件に関する発表があれば、メモ帳に書き留める。後ほど、支 局に上がった時、それをもとに原稿を書く。
 警察を回ったあとは、毎日ではないが、盛岡地方検察庁に検事や副検事を訪ねる。大事件とな ると、検察庁が警察を指揮するので、いつでも取材できるようやはり顔を売っておかなくてはな らない。
 毎日ではないが、やはりたびたび盛岡地方裁判所に足を運び、書記官と話を交わす。その際、 いまどんな裁判がおこなわれているか、これからどんな裁判があるのか、教えてもらう。裁判が ある日は、傍聴席で裁判を取材する。
 夕刻。役所の退庁時間直前に再び県警本部各課と盛岡署を回る。
 
 ところで、正直言って、サツまわりは、私にとってなんとも気が進まない仕事であった。なに しろ、警察はそれまでまったくおつき合いがなかった役所であったから。出入りすることもなか ったし、お世話になったこともなかった。もちろん、お世話になりたいと思ったこともなかっ た。最も敬遠してきた役所だったし、できれは付き合いたくない役所だった。警察とは庶民を取 り締まる、おっかないところというのが、警察に対する小さいころからのイメージだった。
 そればかりか、「警察は市民の敵」といった見方さえ、私のなかで醸成されつつあった。私の 大学時代は学生運動が盛んで、私もよくデモ行進に参加した。デモ隊の警備に出動してきた警官 隊はみるからに高圧的、強圧的で、反発や敵愾心を覚えたものだ。
 その警察が取材対象で、毎日何回か訪ね、警察官と会話をかわし、事件について聞き出さなく てはならない。考えただけで気が重かった。が、そんなことを言っておれない。私は意を決し て、警察の各部署の扉を次々と開けていった。

 ともあれ、盛岡支局では、新米記者がくると、まずサツまわりをさせるというのが慣例になっ ていた。それを卒業すると労働・鉄道担当。次いで教育担当。最後が県政担当という順だった。 時として産業担当記者もいた。あるいはまた「遊軍」という、なんでもこなす無任所の記者がい ることもあった。いずれにせよ、新米記者が最初にくぐるのは警察の門と決まっていて、最初に 言葉を交わす取材先の人は警察官であった。
 新米記者にとどまらない。他の支局から盛岡支局に移ってきた記者も最初に担当するのはサ ツ、すなわち警察だった。
 こうした慣例は、当時、全国的なものだったようだ。私は、盛岡支局から浦和支局(埼玉県) に転勤となったが、そこでまず最初にやらされたのはサツまわり。そればかりでない。その後、 私にとって三つ目の支局であった静岡支局から東京本社社会部に転勤になった時、最初に担当さ せられたのはやはり所轄署まわりであった。いわゆる「川向こう(隅田川より東の地域で、当時 記者の間ではそう呼ばれていた)」の、墨田、江東、江戸川、葛飾、足立の五区十一署をもたさ れた。警視庁第七方面本部傘下の警察署だった。 

 それにしても、新聞社はなぜ勤務地に赴任した記者をまずサツまわりから始めさせるのだろう か。それは、まず、警察には社会のあらゆる情報が集中しているからだろうと思う。事件、事故 に関する情報はもちろん、地域社会のさまざまな出来事、人の動きに関する情報も集まってい る。それに、警察による情報収集は他の役所に比べて断然速い。情報収集を生命とする新聞社に とって警察はまさに「情報の宝庫」なのだ。そこに記者を配置して、記者としての基本を身につ けさせる。そういう狙いがあると思われる。
 それに、新聞社としては、記者に取材活動に必要な土地勘を身につけさせるには、サツまわり が最善、と考えたのではないか。事件、事故の取材に携わると、おのずと自分の担当地域の町 名、地名を覚えてしまう。いつの間にか、頭の中に地図が刻印される。これは、事件、事故以外 の取材にも役立つ。
 それから、もう一つ、サツまわりをこなすことができれば、警察以外の取材は極めて楽、とい うことだろう。
 当時は情報公開制度なんていうものはない時代だから、警察は極端な秘密主義で、警察官は口 が堅かった。交通事故でさえ隠す始末で、なかなか教えてくれない。それに新聞記者の目からみ ると、警察官はおしなべてとっつきにくく、付き合いづらかった。だから、警察官から取材でき るまでになれば、他の分野の取材は朝飯前という感じ。
 それだけに、新聞社としては、記者をまず一番取材が難しいところに投げ込んで鍛錬する、と いう狙いもあるのではないか。当時、私はそう思ったものだ。





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