もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

岩垂 弘(ジャーナリスト)

  第1部 心構え、あるいは心得

 第1回 最初の赴任地は東北だった


雪をかぶった岩手山
(雫石と宮澤賢治を語る会発行の絵ハガキセット「宮澤賢治 雫石の青春風景U」から)



  「こごた」「こごた」「こごた」……
  鼻にかかったずうずう弁のアナウンスで目が覚めた。昭和三十三年(一九五八年)四月十四日 未明、国鉄東北本線の急行の車内。目をこすって窓外を見ると、列車は、まだ薄暗い田舎の駅の 構内に停車していた。ホームに目をやると、「小牛田」の 文字が目に飛び込んできた。宮城県 北部の小牛田駅だった。「そうだ、東北にきたのだ。とすると、盛岡はまもなくだ」。私は、こ れから見ることになる新しい土地と、そこで始まる新しい生活を思いやって、いささかの不安と 緊張感を覚えた。
 私は前夜の四月十三日午後八時一〇分上野発青森行きの夜行の急行に乗った。行き先は岩手県 盛岡市。同市にある朝日新聞盛岡支局に赴任するためだった。この年三月に大学を卒業した私は 同社に新聞記者として採用され、四月一日に入社、盛岡支局勤務を命じられたのだった。
 私は長野県諏訪で生まれ、高校時代まではそこで過ごし、大学は東京だったので、上野から北 へは行ったことがなかった。したがって、東北はまだ足を踏み入れたことのない土地。だから、 東北と聞いても、「農村地帯らしい」「宮沢賢治と石川啄木を生んだ地」くらいしか思い浮かべ ることがなく、全く未知の世界だった。
 それだけに、「盛岡支局勤務を命ず」との辞令をもらった時、これからどんな自然、風物、人 びとに出会えるだろうか、とまだ見ぬ世界への期待と好奇心で胸が高鳴った。
  昭和三十三年といえば、今から四十六年前である。当時は、上野から東北に向かう鉄道といえ ば、まだ新幹線はなく、東北本線だけだった。それもまだ特急は走っていなかった。だから、最 も速い列車は急行で、それでも上野から盛岡まで十二時間から十三時間もかかった。盛岡は、東 京からは遠隔の地であった。
 私の乗った列車は四月十四日午前九時三十分、盛岡駅に滑り込んだ。ホームに降り立つと、身 を切られるような冷たい風に思わず立ちすくんだ。肌に痛いほどだった。信州、それも信州では 最も寒い諏訪の育ちだから、寒風にはなれているつもりだったが、四月半ばになってもなおこの 寒冷ぶりとは、と諏訪の四月の気候との違いを感じざるをえなかった。「なんたって、東北は緯 度的には信州よりはるか北に位置するところだものな」と、私は自分に言い聞かせた。 
 ホームを歩き出して、思わず目を見張った。ホームの左前方に、雪に覆われた、まるで富士山 のような形のよい山がそびえ立っていたからだ。山頂からなだらかな麓まで、全山雪に覆われて いて、それが朝日に照らされて輝く。紺碧の空を切り取ったような雄大な白銀の山。その荘厳さ に思わず息をのんだ。寒風はその山の頂から吹き下ろしてくるかのようだった。
 ああ、これが岩手山なんだ。私は、そう思った。すると、とっさに石川啄木の短歌が思い出さ れた。

 ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
  汽車の窓 はるかに北にふるさとの山見え来れば 襟を正すも

 口に出して反復しながら、まさに啄木が詠んだ通りだと思った。「山に向ひて 言ふことな し」。啄木の心情が分かるような気がした。
 改札口を出ると、一台のジープが停まっていた。そこから、中年の男性と青年が降り、私の方 に歩み寄ってきた。支局長と、ジープを運転する支局の原稿係(新聞記者の支局員をサポートす る係を当時そう呼んでいた)だった。二人とも長靴。それが、北国の長い冬を感じさせた。
 二人のにこやかな出迎えに、それまで私の心の奥底に漂っていた一抹の不安も吹き飛んだ。私 たちはジープに乗り込み、市の中心部にある盛岡支局へ向かった。
 こうして、私の新聞記者生活はスタートしたのだった。

 ジャーナリストやライターを志す人びとが増えている。マスメディアがめざましい発展を遂 げ、とりわけマスメディアが多様化したことで、自分の意見や体験をマスメディアを通じて発表 する機会が以前より増えたからと思われる。マスコミ志望者を対象とした塾もにぎわいをみせて いるという。そこで、もの書きを志す人たちに、これまでものを書いてきた者の一人として、こ れまでの体験の中で感じたことのいくつかをお伝えしたい。何かの参考になれば幸甚である。 


<筆者による自己紹介>
  いわだれ・ひろし 1935年長野県生まれ。1958年早稲田大学政治経済学部卒業、同年 朝日新聞社に入社、盛岡、浦和、静岡各支局員、東京本社の社会部員、北埼玉支局長、浦和支局 次長、首都部次長、社会部次長、編集委員などを経て、1995年退職。現在、平和・協同ジャ ーナリスト基金代表運営委員。
 著書に「核兵器廃絶のうねり」(連合出版)、「青海・チベットの旅」(同)、「平和と協同 を求めて――新聞記者37年」(同時代社)、「ネコ、それぞれ」(同)、編著に「日本原爆論 大系」(日本図書センター)、「沖縄入門」(同時代社)、「生き残れるか、生協」(同)、 「『声なき声』をきけ――反戦市民運動の原点」(同)など。





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